ACT.5 記憶の欠片







「それが大丈夫じゃねぇんだなー」

背後から声がした。
聞き覚えがある、若い男の声だ。
快斗が勢いよく振り返ると、前髪は長めで後ろ髪は快斗のように逆立っている男が立っていた。

「…久しぶりだなぁ?黒羽。」
「さ、榊佳嗣っ!?…て事は、まさか新一は…」

榊と呼ばれた男は精神科の…それも記憶喪失の患者のみを扱う医師だった。
例外が1人だけいるが、その榊の患者という事は……。

「そ。記憶喪失。ちなみに……回復の見込みは無しときたぜ。」

榊は思いきり深刻そうな顔をして快斗を見た。

「回復の見込みが……無いって…?じゃあ、まさか新一、一生記憶が無いままかもしんねえって言うのか?」
「まぁ、それは今後の環境次第だな……じゃ、俺はこの辺で…黒羽、後でオレの部屋来い。例の件で話がある。」
「……了解。」

榊は後半を快斗にだけ聞こえるような声でそう言った。

快斗も榊にだけ聞こえるような声をで返答して、何事も無かったかのように新一のベッドの横にパイプ椅子を置いて座った。そして一言。

「たく…榊の野郎、病室に何しに来たんだよ。」

快斗はしばらく優作達や蘭と話をしてから病室を出た。


榊に真相を聞くために。


榊は、米花中央病院で精神科医として働きながら、快斗の裏の方のサポートをしている。
快斗はキッドとして負った傷を、全て榊に治療してもらっていたのだ。
もちろん、榊は外科医としても働ける優秀な腕を持っている。もちろん必要な免許も全て取得済みだ。
しかし、それを普通の患者の為に使おうとしない理由は、快斗もまだ知らなかった。


「……で?優作さん達にまだ何も話してないって事は、相当ヤバイのか?」

快斗は病院内にある榊の部屋の扉を開けるなり、そういった。
さっき病室で新一に何があって記憶を失ったのかと優作達に聞いたのだが、誰も詳しくは知らなかった。
ただ病院からいなくなって発見されたときにはすでに記憶を失っていたとだけしか聞かされていないらしい。

榊は自分のデスクの上に足を置いて座っている。
隣には、助手でもある警視庁捜査1課に所属している川原晶が立っていた。
彼女は警察に身を置く、本来怪盗キッドを捕まえるべき立場であるにもかかわらず、キッドを…というかパンドラを探すのを支援してくれている。

「只単に病院から抜け出して頭打って記憶が無くなったわけじゃねーんだろ?」
「当たり前だ。工藤がそんな間抜けな事やらかすかよ。」
「…いや、新一なら…じゃなくて。ほんとのとこはどうなんだ?」

「――…3日前、工藤の病室にあいつらが侵入した。護衛の刑事の1人が場所を離れた隙にもう一人の刑事に発砲して強行突破したらしい。実はその夜に意識が戻っていた工藤はその発砲で目覚め、逃げないと殺されると瞬時に判断し、まだ完璧に治っていない体で病室を抜け出した。そして…」
「ちょっと待て。」
快斗は榊の話を遮った。
「…何だ?」

榊は少し怪訝そうに快斗を見た。
どうやら快斗は怒っているらしい。

「…3日前に意識が戻ってた?組織の奴らが病室に侵入?――…どうしてオレに連絡がこなかったんだ!」

快斗は榊のデスクを両手でばんと叩いた。

「まぁ、とにかく続きを聞け。」
「快斗君に連絡しなかったのは、そんな時間が無かっただけよ。あの時は一刻も早く…そう、誰かに見つかる前に私達だけで新一君を見つける必要があったから…」

「………悪ぃ。」
快斗はばつが悪そうにデスクから手を離した。
行き場を失った手は自然とポケットの中へと突っ込まれる。
まだまだ訊きたい事はあるのだが、この二人に逆らい過ぎると後が怖い。

「続けるぞ…工藤は病院を抜け出したはいいが米花公園近くで力尽きた。そしてこいつに追いつかれたって訳だ。」

榊はそう言いながら1枚の写真を快斗に渡した。
快斗はそばにあるソファに座りながら、写真を見た。
見覚えの無い黒服で長髪の男が、新一に何かを飲ませようとしている写真だった。

「!!…一服盛られたのか?」
「あぁ。薬品名はAPTX4869…まだ試作品の毒薬らしい。」

榊は資料を見ながら言った。
ちなみにその資料も何処から持ってくるのか、快斗は知らなかった。
いくら共同戦線を張っているとはいえ、まだ子供と思われているらしい。

「毒薬か…ったく、それが試作品で助かったぜ…」
「しかし、安心は出来ねえんだよなー。何せ、工藤の奴精神年齢低下しちまってんだからなー。」
「はぁ?精神年齢が低下?記憶喪失だけじゃなくて?」
「そうなんだよー。見た目大人の小中学生相手にしてるみてーでイライラするったらありゃしねぇ。それに、あの江戸川コナンとかいうガキは逆に見た目ガキのくせに妙に大人ぶってやがるし…」

榊は足をデスクから下ろして、胸ポケットから煙草を出して吸った。

「榊先生、病院内でのタバコは控えた方がよろしいかと。」
「え?あ、そうだった、そうだった…悪いな、晶。」

榊は慌てて灰皿にタバコを押し付けた。

「コナンってそんなに大人ぶってたっけ?オレと話してたときは普通に小学生って感じだったけど…
ていうかさ、コナンが新一の弟だって本当の話だと思うか?」
「は?んな訳ねえだろ。それは有希子さんの冗談だよ。あの人、もう1人子供が出来たみたいで嬉しいからってそう言いふらしてるだけだ。
…あー、言い忘れてたが、コナンは工藤がアイツらに毒薬を飲まされたその日、工藤の家の前で倒れてんのを隣の博士が見つけたんだとよ。」
「え?…じゃあ、新一とコナン血縁関係無しってわけか……にしてはよく似てるよなぁ。」
「お前と工藤みたいなもんだろ。」
「あ、そう言われりゃそうだな。同じ顔の人が世の中に3人はいるってよく言うし―――…」

快斗は新一とよく容姿を間違われた事を思い出して笑ってしまった。

「ま、とにかく、工藤が生きてるって事を周りに広まらせない為に、生きてる事を知ってるやつらには説明しといた方がよさそうだな…殺されない程度の情報は。」
「それ賛成。また狙われちゃあ困るしな…あいつらのスパイが何処にいるかわかんねえし。とりあえず新一は生死不明の行方不明って事で…川原さん、手配の方は?」
「すでにその手配は完了しています。」
「さすが川原さん♪いつもありがとv」
「いえ…私も兄の為ですから。礼には及びません。」

晶は少し微笑みながらそう言った。
彼女はいつもクールだよなあ、と快斗は思った。

「んじゃ…病室行くか。説明せにゃならんだろ。善は急げ、だ。
あー、黒羽は先行ってろ。お前あの組織と関わってる事、まだ知られたくねえんだろ?俺達と行ったら余計怪しまれるぜ?」

榊は椅子から立ちあがるなり、そう言った。

「え?あ、そうだな………さっきは悪かった。じゃ、先行ってるぜ!」

快斗は部屋を出て、新一の病室へと向かった。
榊と晶は、少し照れながら走っていったその姿がおかしくて笑ってしまった。






「……まだ彼には言わないんですか?例の事…」

晶は快斗が出ていって少したってからそう言った。
さっきまでのおかしさは消え、シリアスな雰囲気に包まれる。

「いずれは言うつもりだけど…今は確証が無いからな…」

榊は資料をぺらぺらとめくりながら言った。

「…確かに、あの目つきは彼そのものですけど、それだけでは確信出来ませんね…」
「ま、記憶が戻ればはっきりするだろ…その前に彼女がこっち側に来てくれればその必要も無いけどな。」

「来てくれますかね。彼女は。」
「あぁ。彼女は好きであそこにいるわけじゃない。何とか説得させるさ。……さて、そろそろ行くか。」
「…はい。」


2人は薄暗い部屋を出ていった。




榊佳嗣と川原晶は、快斗の裏の姿…つまり怪盗キッドの正体を知っている共犯者であり、同じ組織に家族を殺された被害者だった。






初めて快斗が榊たちと出会ったのは数ヶ月前。
盗んだ宝石がパンドラかどうか確認する為に偶々降り立った犯行現場近くのビルで、2人はキッドを…快斗を待ち伏せていたのだ。

「一緒に組織を潰さないか?怪盗キッド……いや、黒羽快斗君?」

榊はそう言って快斗の父親…黒羽盗一が事故死に見せかけて殺された事を話し出したのだ。
快斗ははじめ組織の人間と疑っていたが自分の事をべらべらと話すのを聞いて、こいつは違う…と思い、榊達と共に組織を倒そうと決意した。
1人であの強大な組織と立ち向かうよりは、自分よりも何かもっと知っていそうな榊達と共に倒していったほうがいいと思ったからだ。


「いいだろう。…これからよろしくな。」
快斗は笑顔で手を差し出した。
「フッ…お前には色々と危険な事もしてもらうけど、絶対に死ぬ事だけは許さない。怪我したらオレのとこに来い。分かったな。」
榊はそう言って快斗の手を軽く叩いた。



快斗はその日から、怪我をしたらこの米花中央病院に忍び込み、榊に治療してもらっていた。
腕は確かで、何故外科医として働かないのか、快斗は不思議でならなかった。



――――1度だけ、何故かと訊いた事があった。
いつものように治療している最中に、快斗は何気なくつぶやいていたのだ。

「なんで榊こんな腕いいのに精神科医なんかやってんの?」

言ってから快斗は、訊いてはいけないと思った。
包帯を巻く力が少し強くなっているような気がしたからだ。

「―――……黒羽には関係無い事だ。ほら、治療は終わったぜ。もう帰れ。」

「……分かった。今日は悪かったな、夜勤じゃなかったんだろ?」
「んな事気にすんなよ。どうせ帰っても暇だし、家にその格好で来られても困るしな。」
榊は腹部が血だらけの白いスーツを見た。幸い傷は浅かったが、出血がすごかったのだ。
「あ、酷!今日は警備のボディガードが荒かったんだからしゃーねーだろ!」
「ま、あんま無茶すんなよ。俺との約束、忘れてねーだろうな?」
「忘れるわけねーだろ。「絶対に死ぬ事だけは許さない。」だろ?」

快斗は榊の声を真似てそう言った。

「ならいいんだが。ほら、早く帰れ。日が昇ったら白い服は目立つだろ。」
「うわ!もうこんな時間!じゃ、またよろしくなー。」

快斗は替えのスーツを上に羽織って部屋を出ていった。
数分後、すぐ上の屋上から快斗は飛び立っていった。





















優作達は榊に呼ばれて病院内の会議室に集まっていた。

「今回の事件の事について、少々話しておかなければならない事があります。」
「これは、新一君の生死…そして、ここにいる全員の生死にも関わる事ですので、真剣に聞いてください。」


快斗は榊達の話の途中、ちらっと隣に座っている蘭とコナンを見た。
蘭は恐怖で顔の血の気が引いていた。
これは、まぁ普通の反応だろう。
小さい頃から親しくしていた幼馴染が、そんな危険な奴らに命を狙われていると聞いて冷静でいられる女の子はまず居ない。
しかし子供であるはずのコナンはと言えば、面白い、とでも言っているかのように唇の端を上げた笑い方をしていた。
その目はまるで新一が事件解決の際にちょっとした壁にぶち当たった時のようだった。
…快斗はキッドとして1度こんな新一を見た事があった。

快斗は全身の血がさっと引くような感覚がした。
何となく、コナンは絶対に敵に回してはいけない気がした。



「―――…工藤が生きていると奴らが再び気づけば、今回のように記憶を失うだけでは済まされない。そこで、工藤は生死不明の行方不明という事にしておいてほしい。…正直、工藤は死んだと世の中に広めて噂させるのが1番いいんだが、それはあなた方には辛いだろうし……
……まぁ、とにかく工藤は体調が万全に回復したら我々の手によって安全な所へ保護します。場所は教える事は出来ません。たまに定期検診でこっちに来る事はあるかと思いますけどね。」

「…敵ははるかに強大です。日本だけでなく、世界各国にも進出し、表に決して出る事のない犯罪を繰り返している…そういう人達に新一君は狙われているんです。新一君の為にも、どうか協力してください。」

「…それと、自分の息子の命に関わる事だからといって、組織に関与しようなんて考えは起こさないで下さいよ。我々に任せて、ただ、あなた達はそれを気づかない振りをしててくれればいいんです。酷な事かもしれないが、我々と関わればそれだけで危険なんですよ。
…分かってくれますね。」


榊は新一がどれだけ危険にさらされているのかを優作達に話した。
見た感じ、コナン以外はその話をきちんと受け入れてこれ以上関与しないと決めたようだ。

新一の為に、そして自分の為に。


―――その中で、コナンだけは不適な笑みを浮かべたまま何か考え込んでいるようだった。














数日後、記憶傷害は直らなかったものの、無事傷が癒えた新一は退院した。
1ヶ月ほどは万が一、という事も考えられるので家にいるそうだ。

ついでにコナンは優作と有希子がロスに戻る為、蘭の家で居候する事になったらしい。
蘭といる時のコナンは子供っぽい表情が残っていて、子供らしいと思えた。


「コナン君って、本当に新一の弟みたいね。」

蘭はコナンを見ながらそう言った。
見た目は子供だが、オーラというか、纏っている雰囲気が新一のものと似ている。

「そうだな…新一が子供っぽくなったから余計そう見えるなぁ…」

快斗はこの間見舞いに行って新一と話をしたとき、まるで小学生を相手にしているような感覚がしたのを思い出しながら言った。

「そうそう!新一ったら、ほんと幼くなっちゃって…あれじゃあ小学生よね。」
「まぁ、新一はしばらくしたら記憶が戻る可能性も出て来たって聞いたし、少しの我慢だよ」
「…あ、記憶って言えば、コナン君も記憶喪失みたいなのよねえ…」
「えっ?コナンも?」

快斗は榊にその事は聞いていなかったので驚きを隠せなかった。

「うん。新一みたいに酷くはないみたいなんだけどね。
ほら、江戸川コナンって、偽名っぽいじゃない?だから、ちょっと訊いてみたの。そしたら…本当の名前は思い出せない。だから、新一兄ちゃん家にあった本見て考えた…って。」
「へぇ〜。そうだったんだ。コナンも記憶が…」
「だから、本当の両親の名前もわかんなくてね。仕方ないからうちで預かる事になったの。新一のお隣の博士は1人暮しで面倒見れないかもって言ってたし、新一のとこは危ないし…他に預かれる所は私のところしかなくて…
あ、ほら。弟が出来たみたいで嬉しいじゃない?それに、託児所とかに預けるのは可哀想だったし…」

「…蘭ちゃん…優しいね。そういう所オレ大好き。」

快斗は笑顔全開でそう言った。

「ありがとう、快斗君。でもそう言う事は青子ちゃんに言ってあげなくちゃ。」
「えっ!な、な、な、何言って…!」
「あれー?快斗君顔真っ赤だよ?」
「蘭ちゃんっ!」


快斗はその後もしばらく蘭にからかわれたあと、帰路についた。











自宅に帰ってから、快斗は1人、ベッドの上で天井を見上げていた。


「新一が記憶を失って…キッドの事が白紙になったのは嬉しい…
けど、新一が俺と同じように…いや、もしかしたらオレよりも組織に狙われてるなんてな…」

快斗はごろんと寝返りをうった。

「……江戸川コナン、か……一体何者なんだ……?」



しばらくすると階下から晩御飯を知らせる声がかかって、快斗は部屋を後にした。










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